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私が21歳になって一か月後に、父が亡くなりました。

父が亡くなったその日の夜か次の日の夜だったかは忘れましたが、私の夢見はその後すぐに始まりました。

最初は単に死んだ父が夢に出てきてくれることを嬉しく思っていただけなのですが、夢の内容が明らかにメッセージ(父が夢の中でしっかりと話す)を伝えているとわかると、父の夢は単なる夢ではなく霊的な夢だと思うようになりました。


あれから30年。

その間にいろんな夢を見るようになりました。その内容は実に多岐にわたります。

特に家族や身内の夢は、父が見せてくれているのか、病気を予見する夢、事故を予見する夢など、そのすべてが現実となっています。私の知らせが家族や身内の役に立ったことは一度や二度ではありません。


その夢の見せ方も様々で、直接言葉によるメッセージをだったり、声と無声映像だったり、普通の夢と変わらない映像だったりします。

直感的にというか感覚的にというか、私は夢の識別ができるようになりました。何かを伝えようとする霊的な夢なのか、普通に見る個人的な夢なのかです。


更に、この数年の間に、瞼の裏にも映像が見えるようになりました。

これは床に就き目を閉じると瞼の裏にシルエットのような映像が見えるのです。どこかの町の風景だったり、洪水、水害、火山の爆発などいろんなものが出てきます。


また朝方には、昔の映写機で見るような映像も見えることがあります。これには自分自身驚きました。脳がおかしいのかと思ったくらいです。

これは、決まって朝目が覚める直前、あるいは目が覚めているという意識はありながらも、まだ目を開けずにいる状態のときに見えます。必ずテレビで見る砂嵐から始まります。それが次第に映像に変わっていくのです。

この砂嵐から始まる映像は、本当にどこからやってくるのかと常々疑問に思っています。私の脳の記憶? いや、私が生まれていない明治か大正、それとも昭和初期を感じさせる映像が流れたりします。ならば、私の魂の記憶が反映されているのでしょうか。

映像には実写版もあれば、漫画も出てきます。その漫画も生まれてこの方一度も見たことのない外国の漫画と思われるものだったりします。


父の死。夢見。瞼の裏の映像。


そして、今は一瞬ですが脳裏を過る映像が見えたりするようになりました。これは普通に起きているときにです。

何かを考えているとき、ふとフラッシュが光るように映像が脳裏を過ります。

この瞬間的な映像は、未来を見せてくれているようです。


こうしてみると何か特別な能力があるのではと思われがちですが、私には霊能力もスピリチュアルの専門知識もありません。全くのど素人、一般の人と何ら変わらないごくごく普通の人間です。

そんな私が父の死をきっかけに夢を見るようになった。私は家族に言っています。なぜ私だけが見るのか。それは、私が常に公平にまた客観的に人を思い、考え、そうして夢をできるだけ正しく解釈するからだと。

つまり、正確に言えば『見る』ではなく『見せられている』ということです。

ですから、私にはチャンネルを合わせる力もなければ、自分から見ようという能力もありません。私が行っているのは、ただただ見せられた夢をできるだけ間違いのないように解釈していくことだけです。そして、その上で然るべき人に伝える。


このブログは2009年11月に始めました。その投稿数は600近くになります。

それらの投稿は現在公開していません。少しずつ整理して公開していくつもりです。


このブログを書く目的は、夢が何かを物語るということを多くの人に知ってもらいたいと思ったからです。

夢は脳が記憶の整理をしているという話を私も聞いたことはありますが、勿論そう感じる夢も私も見ます。

しかし、そうでない夢もある。

それはあなたを導くための夢であったり、故人からの思いであったり、遠くの友人からの思いであったり、すなわち、しっかりとしたメッセージを持った夢もあるということです。あなたとあちらの世界、あるいは同じ現実の中でも夢はつながりを持たせてくれるのです。

このことを私自身の夢見の記録を通して多くの人に知ってもらいたいのです。

夢見を通して、あなた自身が悩みや苦しみから抜け出せることを、また大切な学びを得ることを願ってやみません。


最後になりましたが、この場を借りて、いつもお世話になっている貴重なサイト『未弐の夢事典』並びにその管理人様への心からの感謝を申し述べたいと思います。
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